2012-08-23

●Monolog:No. 4145 2012.08.23


ナナカマド。江別

今朝はどんよりと雲がかかっている。
歩いている途中、
激しく雨がふりだした。
湿度が多く、
風もない蒸し暑い天気だ。
今日が集中講義の最終日である。
あとひとがんばりである。

以前「不特定ひとりのために」という
内容の文章を書いた。
Monologという月刊で出している
メールマガジンでのエッセイである。
Monologとは「独白」ではあるが、
自分自身の中で地質哲学における
アイディアやシードをねったり、
記録するために書く場としていた。
独白ではあるが、
独りよがりでならないように、
読者を想定して書いていた。
ただし、多数の読者を必要としないので
「不特定ひとり」でいいという
立場であることをそのエッセイで紹介した。
でも、先日、やはりMonologは
Monologなので独善的になるものだ。
だから、Monologなのだ。
それこそがMonologのある姿ではないか。
読者、第三者を意識することは、
本来のMonologではないのではないか。
他人に期待、依存しては
いけないのではないか。
他力本願では成就しないのではないか。
あくまでも自力本願であるべきなのではないか。
読者は、そんなMonologでも興味があれば、
読んで下さいというべきかのかもしれない。
そんなことを考えた。