ワスレナグサ。江別
今朝は晴れ間が見えていた。
いつもの時間に大学に来た。
今朝は風が強い。
コートを着ていれば寒さを感じない。
昨日は別キャンパスでの講義があった。
今日は、昨日の講義の出席のレジメの修正、
論文の推敲を進めていく。
また文献の精読を進めていく。
昨日のデカルトの方法序説をまとめながら、
いろいろ考えた。
ベーコンの(イギリス)経験論と
デカルトの(大陸)合理論には、
いずれにも課題があった。
経験からは主観的知識しか導けず
普遍的認識にはえられないという
ヒュームの懐疑と呼ばれる課題がある。
理性を信頼する合理論には
「内容なき思考は空虚で
概念なき直感は盲目である」とカントはいい、
感覚的経験でしか思考できず
理性的概念なしには経験を理解できないという
二律背反状態が生じるという問題がある。
カントは、形式とカテゴリーという概念で捉えた。
時間や空間は先見的直感(感性)の「形式」となり
経験の重要性を認めた。
また、量・質・関係・様相などの
基本的思考の枠組みとなる「カテゴリー」が
ア・プリオリに備わっており
悟性(知性)で整理し概念を形成してく。
感性と悟性の相互作用により
認識が成立すると考えた。
これまでの認識が対象に従うという考えから
対象が認識に従うとという
「コペルニクス的転回」が生まれた。
これがカントの批判哲学から
理性を認識していく理論理性となった。
このような思考の変遷を
地質学的思索に如何に反映できるのか
深く考えていく必要がある。