2009-06-30

●精進:No. 2954 2009.06.30


アジサイ。江別市文京台

今日は、小雨である。
快晴ばかり続いていると、
雨もいいものだ。
ただ、昨夜は湿度が高くなり、
寝ているとき肌寒さを感じ、
タオルケットから肌がけに変えた。

今日で、6月も終わる。
講義が7月いっぱいまであるので、
夏休みを遠く感じる。
夏休みが、8月の定期試験が
終わってからとなる。
今年の夏は、本来なら、
阿寒の方に行きたいのだが、
少々遠くて、躊躇している。
まあ、自家用車で出かけるから、
それほど決定を急がなくてもいいのだが。

7月中にしなければならないことが、
いろいろ積み残されている。
それをなんとか、こなして、
夏休みを迎えたいのだが、
それには、日々の精進が必要となる。
このような心がけは、
生きている限り、
常に必要となるのだろうか。
生きていくのはなかなか大変だ。

2009-06-29

●正念場:No. 2953 2009.06.29


カメムシ。江別市文京台

今日も、朝から快晴である。
疲れがたまっている。
朝起きてもけだるさが残っている。
まあ、連日、体に
こたえることばかりしている。

今日から3日間、
昼に学生との面談がある。
個々に面談して、
状況を把握することになる。
週末には行事の本番が開催される。
半年かけて作り上げてきたものが、
集大成として実施される。

日曜日には、いよいよ
教員採用試験が行われる。
わが学科の第一期卒業生が
大学生活最大ともいえる
正念場を迎えることになる。

外に出かけたくなるような快晴の日々だが、
正念場を迎える人たちがいる。
私は、それを影で応援するしかない。

2009-06-28

●爽快な汗:No. 2952 2009.06.28


チョウ。江別市文京台

今朝は、朝から快晴である。
今日はいつもよりよく寝ていたが、
疲れがまったく抜けない。
9時には地域の一斉清掃がはじまり、
参加した。
清掃は草刈機を持っている人が、
参加してくれたので、
一気に終わってしまった。
その後、自宅の草むしりをしばらくし、
次男と公園でキャッチボールをした。
汗だくになった。
たぶん体は疲れているのだろうが、
爽快感がある。
昼は、近くの公園で恒例のジンギスカンがある。
これも楽しみにしているものだ。

●パズル・パレス:No. 2952 2009.06.28

ダン・ブラウン著「パズル・パレス」
(上:ISBN978-4-04-295510-8 C0917
下:ISBN978-4-04-2955101-5 C0917)
を読んだ。
NSA(アメリカ国家安全保障局)の
スーパーコンピュータが狙われた。
それを阻止するための調査官が対処し、
スペインではその恋人が暗号のキーになるものを
追っていく。
一見何の脈絡もないものが、
最後に一気につながってくる。
なかなか面白い物語である。
ただし、大円団が破壊で終わるのが
余りいただけないが。

2009-06-27

●初夏:No. 2951 2009.06.27


テントウムシ。江別市文京台

朝起きたとき雲がかかっていた。
自宅を出て歩き出した頃に晴れてきた。
大学に着くと快晴になっていた。
今日も暑い日になりそうだ。

今日は午前中は学部の1年生が体育大会をする。
それを見学、応援して、
午後からは、授業をおこなう。
なかなかハードな一日になりそうだ。

前期の授業も残すところあと一月となった。
今年からは、15講しなければならなくなったので、
7月いっぱい講義があり、
定期テストは、8月になってからだ。
やらなければならないことが、
積み残されている。
それが気がかりだ。

2009-06-26

●心地よい海:No. 2950 2009.06.26


坂道の先の海。小樽市朝里

ここ数日、非常にいい天気である。
少々湿度はあるが、
心地より快晴である。
今日当たり、森の中を歩いてみたい。

昨日は、教育実習の指導で
小樽の朝里にいった。
はじめて降りる駅だ。
海沿いに線路があり、
道路が台地の上をはしり、
その道路沿いに町ができている。
駅は無人駅である。
自動券売機や自動改札はあったが、
このような無人駅を利用するのは
久しぶりである。
車窓、あるいは歩きながら見る海は、
快晴の日を浴びて青く澄んでいた。
心地よい海が、心に染みた。

2009-06-25

EarthEssay 2_81 GOEの時期:酸素の物語7

EarthEssay
2_81 GOEの時期:酸素の物語7
(2009.06.25)
を発行しました。

酸素の物語も、いよいよ最終回となりました。
今回は、新しい研究成果を2つ紹介しながら、
酸素の形成時期がいつだったのるかを探っていきます。
最新の成果によれば、
28億年前ころに酸素の急激な増加が起こったと考えれています。

2009-06-24

●グールド:No. 2949 2009.06.24


ハルニレ。江別市文京台

早朝は曇っていたが、
自宅を出る頃には
晴れ間がのぞきだした。
風が強いが、気温が暖かい。
少々蒸し暑く感じる。
天気が回復してきて、
久しぶりの快晴が訪れるのだろうか。
一日晴れていることが
ここしばらくない。
できれば、そんな快晴の日が
続いていほしいものだ。

グールドの本を読み出した。
「人間のはかり間違い」
という本である。
読み出して何日目かになるが、
まだ、序章に達したばかりだ。
やはりグールドはすごい。
増補改訂版の前書きを読んだばなりだが、
やはり難しいが、面白い。
そして、この本にかけた
グールドの意気込みがわかる。
知能検査や頭蓋骨計測に基づく
人種差別やを生物学的、進化論的に、
統計学的に批判している。
グールドの死の5年ほど前に
改訂版が出された。
そのハードカバーをもっているのだが、
文庫版があったので、そちらを読んでいる。

2009-06-23

●避けては通れない:No. 2948 2009.06.23


キノコ。江別市文京台

明け方まで降っていた雨が、
上がりそうである。
歩いてくるときは、
時々パラついていた。
風が強い。
ニセアカシアの花びらが、
道路に散らばり、
いたいたさを感じさせる。

論文を書く時間がとれない。
最近、焦りが出てきている。
6月ももう少しで終わる。
7月末が〆切だから、
時間があるのだが、
時間がとれず、なかなか進まない。
それが焦りとなる。
忙しい状態が続くと、
そのような精神状態へとなる。
忙しさが校務によるためなので、
避けては通れないことでもある。
それは、学生のためのことでもある。
淡々とこなし、
暇を見て取り組むことになる。

2009-06-22

●ぶらぶらよりは:No. 2947 2009.06.22


花。江別市文京台

今日は雨である。
相変わらず、天気が悪い。

昨日は長男の友達が3名て
我が家で一日遊んでいった。
こども祭りに行く予定だが、
天気が悪いのやめた。
長男と次男が風邪が
治りきっていないので、
大事をとった。
午前中雨がふっていた。
昼過ぎに晴れてきたので、
2時間ほど外で遊んでいた。
まあ、にぎやかに5人で遊んでいた。

私は、今週も日帰り出張があり
土曜日が午前中が学生の体育大会で、
午後が実習の授業がある。
日曜日には地区の一斉清掃がある。
まあ、休日自宅でぶらぶらしているよりは、
いいのかもしれない。
ただ、疲れが抜けないのは、
年齢のせいか。

2009-06-20

●天気が心配:No. 2946 2009.06.20


野外展示。勇払郡むかわ町穂別

今日もどんよりとした曇り空である。
今にも降り出しそうな天気である。

昨日は穂別に出張であった。
教育実習の指導のためである。
片道100km、2時間ほどの行程である。
公共の交通機関が不便なので、
自家用車で出かけた。
授業を見学して、その後議論をした。
結局3時間ほど小学校にはいたことになる。

今日は、次男がソロバンの大会、
長男が医者、あわただしいが、
午後からは暇になるが、
明日は子供まつりで、
長男の友達も迎えに行って
一緒に出かけることになる。
天気がよくないので、心配である。

●樹の上の忠臣蔵:No. 2945 2009.06.20

石黒耀著「樹の上の忠臣蔵」
(ISBN978-4-06-214398-1 C0093)
を読んだ。
クライシスノベルの著者が
一風変わった本を書いた。
歴史、それも忠臣蔵を題材にして、
新しい解釈を示したものだ。
ただ、普通に示すのではなく、
SF仕立てにしてある。
現代のツリーハウスで
赤穂藩の家老に仕えたものが、
幽体として出てくる。
忠臣蔵と明治維新の裏話を
語るというものだ。
荒唐無稽だが、
設定や忠臣蔵、明治維新の裏が
関連していることが、
読んでいるうちにわかる。
なかなか面白い。

●地団駄は島根で踏め:No. 2944 2009.06.20

わぐりたかし著「地団駄は島根で踏め」
(ISBN978-4-334-03498-6 C0281)
を読んだ。
語源ハンターを自称する著者が、
日本語の語源を探る旅に出てたときの
エッセイである。
現地で人々とふれあい、食しながら
語源を探っていく。
その過程で思わぬ、解釈、展開、
そしていろいろな人との出会いがある。
なかなか面白く、
そしてためにもなる本である。

2009-06-18

●やるだけ:No. 2943 2009.06.18


花。江別市文京台

今日もどんよりと曇っている。
少々肌寒い。

昨日と今日は、授業のきつい日である。
一昨日と明日の出張があるので、
今週はさらに肉体的にはつらくなる。
週末は子供たちの行事がある。
来週はやはり出張と、
週末の講義と行事がある。
愚痴を言っても仕方がない。
たんたんとやるべきことを
やれる範囲で真摯に誠実にやっていくだけだ。

EarthEssay 2_80 酸素の誕生:酸素の物語6

EarthEssay
2_80 酸素の誕生:酸素の物語6
(2009.06.18)
を発行しました。

酸素を形成しはじめたのは、
シアノバクテリアという小さな生物だと考えられています。
絶滅したかに見えたストロマトライトをつくった生物は、
現在も、入り江の奥に、ひっそりと人知れず、
シアノバクテリアの子孫は生き延びていました。
そのシアノバクテリアの発見から、
20数億年前の酸素誕生の秘密が解明されてきました。

2009-06-17

●教育実習:No. 2942 2009.06.17


アジサイ。江別市文京台

今日はどんよりと曇っている。
少々肌寒い気もする。

昨日は、旭川に出張した。
教育実習の指導である。
私がいった小学校は、
どこも学校の対応がよく、
丁寧に実習生を受け入れて
育てていただいてるような気がする。
このような育て方をされている学生は、
幸せであろう。
将来の仕事への大きな足がかりとなるだろう。

2009-06-15

●母の土産:No. 2941 2009.06.15

今日は小雨が降っている。

今日は小学校の運動会の振り替えで
小学校が休みである。
母を呼んでいるので、
仕事を休んで、
家族で出かける予定であった。
しかし、天気予報ははずれ雨なのと
次男が運動会で風邪を引いたようで、
外へは出かけないほうがいいようだ。
体調によっては
医者に行った方がいいかもしれない。
母は土産を買うのを楽しみにしていた。
母は明日帰る。
私は明日、出張なので見送りにいけない。
今日の予定をどうしようか悩んでいる。

●軽石:No. 2940 2009.06.15

加藤祐三著「軽石」
(ISBN978-4-89694-930-8 C0044)
を読んだ。
著者が沖縄に転勤をして、
海岸で見つけた軽石に興味を持って、
調べたことをまとめたものである。
漂着軽石をライフワークの一つとして
科学者が取り組んだ結果である。
10章ほどの章立てになっているが、
全体として一つの物語にしているようだが、
章によって全体の関係が
よくわからないものもある。
ストーリーがわかりにくいところもある。
しかし、海岸に打ち上げられた軽石から
体系的な研究をなしていったのは、
なかなか面白話であった。

54 牟婁層群:陸と海の輪廻と混沌

 牟婁(むろ)層群は、紀伊半島の南部の代表的な地層です。陸から運ばれた土砂や礫が地層となりました。堆積したときは整然と重なっていたものが、陸地に上がり、互層となり、時に褶曲したりしています。牟婁層群は、整然とした輪廻と、複雑な混沌が入り乱れています。それは、過去の海と陸の輪廻と混沌でもありました。

 今年の春、南紀を巡ったとき、「牟婁層群」を見ました。
 牟婁は「むろ」と読みます。もともとは同じ発音である「室」から由来したようです。室は、「いちばん奥のいきづまりの部屋」という意味があります。昔の都のあった奈良や京都から見ると、吉野のさらに奥の地になります。明治までは、紀伊半島の南部を占める広大な地域は、牟婁と呼ばれていました。明治になって、東西南北の4つの牟婁郡に分けられ、三重県と和歌山県に再編されました。
 春の調査は、かつての牟婁の海岸を巡ったことになります。今では、地層名にも牟婁は残されています。
 大学3年生の春に、紀伊半島の西半分の地層を見るための巡検(地質の見学旅行のこと)にでかけました。その当時、私は、地質学でもどのよう分野を対象にするかはっきりとは決めていませんでした。ただ、いろいろな地域の地質を見てみたいと思って、漠然と巡検に参加してました。
 その紀伊半島巡検では、各種の堆積岩を見学しましたが、そのときに、牟婁層群も見ていたはずです。牟婁層群という固有名詞自体は記憶に残っているのですが、どのような地層かははっきりとは覚えていません。ただ、堆積岩にもいろいろなものがあることは印象に残っています。
 その時、案内者の好意で漁船をチャーターしていただいて、横島という小さな島に渡りました。そこでは、オルソクォーツァイト(後述)という不思議な礫を観察し、地質学にロマンを感じた記憶があります。
 ところが、卒業論文では、オフィオライトというマグマが固まった石、火成岩を対象にしてから、地層には見向きもしないで、15年ほど火成岩ばかりを見てきました。
 オフィオライトとは、昔の海洋地殻を構成していたものでした。海洋底を成していたものが、海洋プレートが沈み込むとき、陸の堆積物の中に紛れ込んでしまうことがあります。そのような海洋プレートを構成してた一連の岩石群を、オフィオライトと呼んでいます。オフィオライトは、マントルを構成していた岩石から、沈積岩、深成岩、貫入岩、溶岩など多様が冷え固まり方をした火成岩、海洋底に降り積もった生物の遺骸が固まったチャート、そして陸に近づくにつれ流れてくる陸源の土砂が固まった堆積岩などが上に重なっています。
 オフィオライトの野外調査をすると、このような多様が岩石がでてきました。私にとって、上部にある堆積岩は、分布や分類などを調べることはしましたが、それを研究対象にはしていなかったので、興味をもっていませんでした。火成岩だけを研究対象にしていて、オフィオライトが、どのようなマントルから由来したマグマで、どのようなマグマだまりで固まり、そしていつ噴出したのかを、化学分析から調べていました。
 化学分析では、放射性元素を用いた年代測定、鉱物の微小部分の化学分析、極微量な元素組成などを最先端の分析装置を使って、時には他の研究施設を借りてデータを出したりもしてました。まあ、火成岩を調べるために、非常の特殊な先端技術を利用したり、その分析法の開発の手がけていたことになります。
 私が研究対象にしたオフィオライトは、海のものが陸に上がったわけですから、大きく変形しているものばかりでした。ですから、変形の少ないオフィオライトをみると、それが美しいものだと思えるようになっていました。野外での岩石の見方も、化学分析を前提にした特化したものでした。その目的に合いそうなものが、美しく見えてきたのでしょう。また、堆積岩もみていたのですが、研究対象でもなかったので、美しいとかいう視点で眺めていませんでした。
 ところが、そのような地質学プロパーの研究の方法から、自然の一部として岩石を眺めたり、教育素材として地層や岩石を見るようになると、見方が変わってきました。大きく褶曲した地層や累々と連なる地層などは、大地の営みを直接感じさせるもので、魅力あるものに見えてくるようになりました。露頭の写真で、大きく褶曲した地層があると、実物を見たいと思うようになりました。
 今の私の野外調査対象は、堆積岩を中心とする地層が多くなっています。それは、現在の職場には、分析装置や実験設備がないからでもあり、野外の観察を中心にならぜるえません。試料も、だれでも採取できるような石ころや砂で、室内ではその写真撮影と分類、計測、整理をすることになっています。いわゆる、地質学的研究とは全く違ったアプローチであり、目的となっています。
 大地のダイナミクスの証拠として、さまざまな岩石を眺めるようになってから、日本各地の地層を興味を持ってみるようになってきました。今では、火成岩より堆積岩のほうを見ることが多くなってきました。今回の牟婁層群も、そのひとつの現れでした。
 牟婁層群は、四万十帯という地質帯に属しています。四万十帯は、北から日高川(ひだかがわ)層群、音無川(おとなしがわ)層群、牟婁層群に分けられています。古いものが北にあり、南の方が新しいものとなります。
 四万十帯の北半分を日高川層群が占めています。約1億年前(白亜紀後期)に堆積した砂岩や泥岩からなります。そこに、オフィオライトのチャート、赤色頁岩(深海粘土)、火山岩類などが紛れ込んでいます。
 音無川層群は、5700万年前ころ(暁新世)の地層です。地層の下部は泥岩で、上部は砂岩と泥岩の互層に変わっていきます。これは、当初は砂岩あまり届かない環境から、タービダイトと呼ばれる、海底の地すべりなどによって形成される混濁流によって砂と泥が運ばれる環境に変わってきました。多分、陸に近い環境になってきたのでしょう。
 牟婁層群は、約4000万年前(始新世)に形成されました。砂岩と泥岩の互層から地層で、礫岩を含んでいることがあります。砂岩と泥岩の互層は、それぞれの地層は遠目で見ていると、どれも似通っています。地層の成因が、タービダイトの繰り返しだと知ると、地質現象、あるいは自然現象には、輪廻があり、その履歴がはっきり記録として残ることがわかります。
 乱れなく整然とした地層になっているところもある一方、牟婁層群には、激しく褶曲している場所や地層が内部で乱れているところ(スランプ構造と呼ばれます)もあります。天鳥の褶曲(別名、フィニックスの大褶曲)を見たかったのですが、残念ながらいけませんでした。しかし、小規模な褶曲や、砂岩と泥岩の繰り返しの地層(互層と呼んでいます)、巨礫が転がっている海岸などを見ることができました。
 さて、大学3年生のとき見た横島は、牟婁層群の属していました。そこで見たオルソクォーツァイトも、牟婁層群の礫岩中の礫でした。
 オルソクォーツァイトとは、正珪岩とも呼ばれ、ほとんど石英だけからできている岩石です。石英の化学組成は珪酸(SiO2)なので、岩石の化学組成も95%以上が珪酸になります。顕微鏡でオルソクォーツァイトをみると、丸い石英が集まっていることがわります。その石英の周囲は、赤い幕のように酸化鉄が覆っていることがあります。つまりオルソクォーツァイトは、丸い石英が集まった砂岩なのです。
 丸い石英だけが集まる砂岩ができるのは、大陸の内陸の砂漠や湖、あるいは大陸付近の海岸という大陸内部や、大陸の縁の環境です。オルソクォーツァイトの地層は、先カンブリア紀の大陸地域から見つかります。
 オルソクォーツァイトの地層は日本列島からは見つかりません。ところが、オルソクォーツァイトの礫を含む地層が、稀ではなく、日本列島のあちこちから報告されています。これは、日本列島はかつてユーラシア大陸の端にくっついていたからです。つまり、昔は日本海がなく、あるときに形成されたのです。そのため、大陸の川が、オルソクォーツァイトの地層を侵食し、礫として運ばれ、大陸斜面に運ばれて地層となりました。これが、日本各地のオルソクォーツァイト礫の由来となります。
 ただし、牟婁層群のオルソクォーツァイトには、少々不思議なことがあります。
 ひとつは、礫サイズです。オルソクォーツァイトの礫の径が、2から5cmもあります。大きな礫は相対的には近いところから運ばれたことになります。ですから、比較的近くにオルソクォーツァイトの地層があったはずです。つまり、大陸が近くにあったのです。
 もうひとつは、地層が来た方向です。地層に、堆積するときに生じた流れを記録していることがあります。そのような流れを古流向と呼びます。オルソクォーツァイトの礫を含む地層の古流向を復元すると、なんと現在の太平洋ある海側という結果が出てきました。本来なら陸側であるべきです。これは今は亡き大陸(黒潮古陸と名づけられています)があったという推測ができます。ところが、そんな大陸は海底を調べても見つかりません。
 この謎は、まだ解明されていません。
 礫岩とは、多様な起源の礫が集まったものです。牟婁の海岸に広がる海蝕台の礫岩には、混沌ともいうべき様相を呈しています。互層の織り成す整然とした輪廻と比べると、礫岩とのコントラストは明瞭です。しかし、輪廻の互層も、大地の営みによって褶曲という混沌が起こります。こんな輪廻と混沌が牟婁の海岸では繰り広げられています。

・さらし首・
牟婁地域には、さらし首層という
これまた変わった名前の地層があります。
さらし首層は、四万十帯には属しますが、
より新しい中新世の統熊野層群の中にあります。
さらし首層は、海蝕台で礫が
ごろごろと残った様からとったのでしょう。
ただの普通の礫ではなく、
メランジェ(混在岩)という
複雑な経歴の岩石です。
メランジェについては、別の機会にしますが、
牟婁には、日本列島の歴史にかかわる
重要な地質現象がいろいろ見られます。
都から離れた牟婁とよばれる地には、
さらし首というおどろおどろしい名称があります

・母と運動会・
子供の運動会を見学するために、
母を京都から呼びました。
長男が今年小学校を卒業するので、
最後の運動会になるからです。
今まで運動会は見学していなかったので、
一度は見た方がいいと思って呼びました。
短い滞在で、落ち着かなかったかもしれませんが、
長男の成長を見る数少ない機会となりました。

GeoEssay 54 牟婁層群:陸と海の輪廻と混沌

GeoEssay
54 牟婁層群:陸と海の輪廻と混沌
(2009.06.15)
を発行しました。

牟婁(むろ)層群は、紀伊半島の南部の代表的な地層です。
陸から運ばれた土砂や礫が地層となりました。
堆積したときは整然と重なっていたものが、
陸地に上がり、互層となり、時に褶曲したりしています。
牟婁層群は、整然とした輪廻と、
複雑な混沌が入り乱れています。
それは、過去の海と陸の輪廻と混沌でもありました。

2009-06-14

●雨:No. 2939 2009.06.14

今日は朝から雨である。

小学校の運動会は、
昨日時々小雨目になったが、
決行された。
子供の競技を優先するために、
PTAの競技を2つほど飛ばしたようだ。
また、昼食は家族と食べるのだが、
外は寒いので、
学校内のホールと体育館に
暖房が入れられ開放されたようだ。
非常に融通を利かせた判断だと思う。
そして、今日の雨。
校長先生たちの判断と
降雨は関係がないが、
有効に作用したように見える。

今日は、ははがを連れて
昨日の慰労をかねて、
家族で温泉に行く予定だ。
母は子供たちに本を買ってあげるという。
夕方には外食をしようと考えている。
また、明日は小学校が休みなので、
砂川子ども園に行くつもりだ。
母は、そこでみやげ物を買う予定だ。

私は、朝、静かな時間を見計らって、
仕事をしていく。
運動会のビデオをDVDにしなければ、
これがなかなか時間がかかるのだが。

●凍裂戦線:No. 2938 2009.06.14

馬場啓一著「凍裂戦線」
(ISBN4-334-07281-X C0293)
を読んだ。
初めて読む作家である。
なかなか面白いサスペンス物である。
ある政治家が陰謀でハイジャックから誘拐され、
それを自衛隊が法律を犯して救出に行く。
その政治家は自衛隊の存在に反対で、
海外派兵にももちろん反対の立場である。
このような政治家が、
自らの命を賭して、
自分を助けてきてくれた自衛隊員の行動を見て、
いろいろと心が変わっていくという内容である。
まあ、サスペンスとしては、
ハイジャックから誘拐、
そして救出劇が見所だろか。

2009-06-13

●屋外行事:No. 2937 2009.06.13


アジサイ。江別市文京台

明け方まで降っていた雨は、
朝日にはあがっていた。

今日は大学の実習があるので、
通常のように大学に来ている。
実習自体は12時半から始まるが、
午前中から準備する学生がいる。
そのために待機している。

今日は小学校の運動会である。
今日は天気が悪いが、
予報によると、
明日もあまり天気がよくない。
今日できるならやった方がいいだろう。
今まで家内から連絡がないので、
多分あるのだろう。

外で行う行事は、
天候しだいで精神的によくない。
ただ、晴れたときは、
屋外の爽快さは
屋内の行事では味わえないものだ。
それに運動会のように
屋外でしかできないものもある。
長所、短所がある。

2009-06-12

●自分探し:No. 2936 2009.06.12


雫。江別市文京台

昨夜半まで降っていた雨が
今朝は上がっていた。
雲の多い天気である。

私が若かったときから、
「自分探し」という言葉があり、
多くの同世代の若者が実践してきた。
今の若者の間でも
「自分探し」という言葉は
同様の使われ方がされている。
探して「自分」が何ものかが
見つかるのだろうか。
まず次のことに、気づくべきであろう。
少なくとも、自分自身の肉体がある。
その肉体を、自分の肉体と理解する
意思が存在する。
そして肉体と意思が
どこに向かうべきか
という悩みも存在する。
自分の肉体や意識のクセには
気づいているはずである。
長年の経験で
そのクセとの付き合い方にも、
長けているだろう。
これこそが「自分」 ではないか。
「自分探し」をする存在こそが、
「自分」ではないか。
だから、探すべきは、
「自分」ではなく、
「自分」が向かうべき方向、
目指すべきところではないか。
それを目標や夢というのだろうか。
それすらも、変化する。
曲がりくねる。
まったく違ったところにたどり着く。
それが生きていくということなのかもしれない。

2009-06-11

●似て非なるもの:No. 2935 2009.06.11


雫。江別市文京台

今朝は雨である。
しとしとと降る雨である。

傘をさして歩いている途中、
あることをを思いついた。
私は、歩きながら写真を撮るのだが、
雨のときは、ついつい雫を撮ってしまう。
コブシの葉っぱに落ちた雫が
葉っぱの表面張力で球になる。
それが光に反射して白く輝く。
朝はいつもそうであった。
今日は曇りで光量が足りなったのだろか。
光のさす角度が違っているためであろうか。
傘の陰になっているためだろうか。
白く輝いていなかった。
そこで、ふと思いついた。
雫はこぶしの葉っぱの上で
「いつも 」光っていると思ったが、
それは、いつもと同じ雫ではない。
別の水である。
その水の由来も違っている。
このコブシの葉っぱだって、
毎年のようにこの木になっているが、
去年のものとは全く違っている。
そう、すべて同じようにみえても、
別のところから由来した物質であって、
世代を交代していて、
時間を経過しているから、
いろいろな階層において同じものではない。
つまり似て非なるものである。
そんなことを考えてしまった。

EarthEssay 2_79 海洋の酸素:酸素の物語5

EarthEssay
2_79 海洋の酸素:酸素の物語5
を発行しました。

前回は、大気中の酸素の歴史を、
鉄のマーカーから赤い砂岩の存在から探っていきました。
今回は、海水中の酸素の歴史を探っていきます。
やはり、マーカーは鉄です。
鉄が沈殿してできた縞状鉄鉱層は、
海中の酸素形成を物語っています。

2009-06-10

●母の来札:No. 2934 2009.06.10


花。江別市文京台

今朝は霞んでいるが晴れている。
少々蒸し暑い。

明日から母が来る。
小学校の運動会を見るためだ。
私は、同日大学の講義があるので、
運動会には参加できない。
長男が小学校で最後の運動会なので、
母を呼んだ。
母にとっては、初めての運動会の見学となる。
土・日曜日をはさんでの、平日なので、
あまり時間が取れないが、
可能な限り付き合うつもりである。

2009-06-09

●しなければならないこと:No. 2933 2009.06.09


コスモス。江別市文京台

今朝は晴れである。
暑くなりそうである。

講義も半分が過ぎた。
ある講義では、
新しい体系で学問を伝えるために、
現在再構成をしている。
日々それに追われている。
自分の研究とは
直接結びつかない部分なので
つらい作業である。
しかし、教育で必要であれば、
手間はかかるが行わなければならない。

来週から3回の出張にはいる。
日帰りばかりだから、楽ではあるが
遠くなれば肉体的には疲れる。
これも、教育上必要なことだから、
行わなければならないことである。

2009-06-08

●中心人物:No. 2932 2009.06.08


アリとバラの若葉。江別市文京台

今朝は曇りである。
今日も湿度が高く、
かなり蒸し暑くなってきた。
昨日は自宅でも、動くと
じっとりと汗が出てくるほどの蒸し暑さだった。
そろそろクールビスとして、
ネクタイもやめてもいい時期かもしれない。

組織には何人かの中心人物がいる。
中心人物になるためには、
ある程度の素質が要求される。
時間や約束事に対して、
ルーズであるのは、
組織を動かすときに困る。
組織員にそのような人物がいるとき、
中心人物は注意を要する。
中心人物がそのような資質を持っていると
たとえ、がんばっていても、
回りに迷惑をかけてします。
それに気づかなければならない。
また、自分たち組織の常識は、
社会や世間の常識かどうか
常に確認しておく必要があるであろう。
組織を動かすのはなかなか大変だ。

2009-06-07

●校長先生:No. 2931 2009.06.07


菜の花。江別市文京台

今朝は雨である。
昨日の午後から降り出した雨は今も続く。

昨日は、小学校で環境の整備をした。
昼まで、雨がぱらつくことがあったが、
何とか外での作業、ジンギスカンも
無事終わった。
今朝起きると、腰が痛い。
重いものを運んだり、
腰をかがめた作業がいろいろ続いた。
それが今日の腰痛になっている。
因果関係は明瞭である。
今日は、プールは中止である。
図書館と、買い物にいく予定である。

昨日、小学校の校長先生と話す機会があった。
非常に私には好感が持てる
教育は、指導への姿勢をお持ちであった。
子供の体力が落ちていることを心配して、
休み時間は、子供その外で遊ぶことを
推奨しておられる。
教員にもそう指導されている。
そして小学校が森のあるいい環境なので
それをいろいろ利用したいと考えておられる。
私からすると当たり前の考え方である。
そして、特認校としての個性を
大いに活かして欲しい。
校長先生が変わると、
学校の雰囲気も大きく変化するのだ。
管理者の重要性を感じる。

●工学部・水柿助教授の日常:No. 2930 2009.06.07

森博嗣著「工学部・水柿助教授の日常」
(ISBN4-344-00045-5 C0093)
を読んだ。
ミステリーではない。
著者のミステリー作家になる前の
日常生活をうだうだとつづったものである。
どことなく坂口安吾のエッセイを思わせる。
新人作家が書いたら決して本にならないものだ。
有名推理作家が書いたものだが、
皆、興味を持って読み、
面白みを見出せるのだろう。
それに、面白みを見出せる内容も
どことなく漂わせている。
でも、これからも読みたいとは
あまり思えないものでもある。
なんとなく、すべてが漠然としている。

2009-06-05

●ジンギスカン:No. 2929 2009.06.05


雫。江別市文京台

今朝は雨である。
霧雨でしっとりした雰囲気をかもし出していく。
このような雨はなかなか趣があって
好きな天気である。

昨日の授業で、
ある研究者の話をした。
するとある学生が、
その先生をうちの大学に
呼んでもらえないかといわれた。
確かに彼の話は面白いはずだ。
でもわが大学の学生で、
彼の話でどれくらい興味をもつか。
そもそも話を聞きにくる学生が
どれくらいいるかが問題だ。
そんなことを考えながら
その学生に答えた。

今度の週末は、
小学校の環境をPTAが整備する日である。
運動会の前の週にある恒例の行事だ。
整備の後にジンギスカンをやる。
私はそれが楽しみだ。
外でジンギスカンを食べるのは
家族ではない。
我が家では、室内で行うことになっている。
だからこの機会を楽しみにしている。
晴れればいいのだが。

●四季 秋:No. 2928 2009.06.05

森博嗣著「四季 秋」
(ISBN4-06-182353-1 C0293)
を読んだ。
4部作の3巻である。
四季が姿を消しているころ話である。
犀川と西園寺が登場する話して、
犀川の親がでてくる。
その関連の登場人物もでてくる。
他の作品が複雑に絡み合っている。
やはり不思議な作品である。

●四季 夏:No. 2927 2009.06.05

森博嗣著「四季 夏」
(ISBN4-06-182339-6 C0293)
を読んだ。
4部作の2巻である。
四季の15歳のころ話である。
彼の作品のシリーズの
さまざまな登場人物が出てくる。
昔読んでいてたもので、
間が空いたので、
その関連がよく分からなくなっている。
まあ、不思議な小説である。

2009-06-04

●組織を動かす:No. 2926 2009.06.04


雫。江別市文京台

今朝自宅を出てしばくすると、
小雨が降ってきた。
傘を差したが風があって
少々困った。
小雨であったので、
ぬれることはなかった。

人が組織で何かをするとき
何らかのきっかけが必要になるころがある。
特に行事を行うことが最終目的があるときだ。
全員の気持ちを合わせなければ
組織が動かないときがある。
そのきっかけが何なのかは、わからない。
だが、外的な条件として、
〆切や期限などの時間的束縛がある。
その時間に追われて、
何らかの形をつけなければならないとなると
その組織は動き出す。
それをいかに早くその状態にするしかない。
それも指導者の腕なのか。

行事の参加者募集ため
メールでの受付をする。
大学の授業なので、
公式のアドレスを使うために申請をした。
ところが以前の古いアドレスの
パスワードがわからない。
計算機センターに問い合わせるしかない。
なかなか面倒である。
しかし、この整備だけをしておけば、
来年から楽になる。
まあ、仕方がないことだ。

EarthEaasy 2_78 大気の酸素:酸素の物語4

EarthEaasy 
2_78 大気の酸素:酸素の物語4
を発行しました。

生物が陸に進出したのは、
大気中に酸素が蓄えられた後でした。
それ以前、生物は、海の中の生活していました。
海の中にはすでに光合成をする生物がいましたので、
生みも酸素に満ちていたはずです。
では、いつ、大気や海洋に酸素が蓄積されてきたのでしょうか。
酸素の蓄積の証拠は、どうすればわかるのでしょうか。

2009-06-03

●若者が社会に出るとき:No. 2925 2009.06.03


花。江別市文京台

今日は薄く雲がかかっていた。
ときどき晴れ間がのぞいている。
風はあったが暖かい日である。

新たに社会人になろうとする若者は悩む。
若者が職業に就くとき、
その職が自分の望むものかどうかで悩む。
望むものでなくても、
社会に出るために、
何らかのものをさがさぜる得ない。
何も職がなく社内に出るには、
現代では、あまりに無防備で、リスクが大きい。
社会に出る直前の若者は、
将来が見えない不安が募る。
今は、その迷いが致命傷になることもありそうだ。
私の時代にも、悩んだ人もいた。
私も悩んだ一人だ。
私の時代には、迷いつつ社会を歩いても、
それを社会が許してくれた。
現代の不安は、メディアが作り上げた虚像なのか。
今も昔も若者が社会に出るには
同じ不安、同じリスクをもっていたのだろうか。

2009-06-02

●エゾハルゼミ:No. 2924 2009.06.02


花。江別市文京台

今日は曇りである。
暖かいのだ、風があり、
体感温度は低かった。
昼間になると、
エゾハルゼミの激しい泣き声がする。
季節の移り変わりを教えてくれる
風物詩となる。

昨日は医者に行くために、
早めに研究室を出た。
歩いていくために、
4、5kmほど歩くことになる。
歩くことは苦ではないし、
普通に疲れることなく歩ける。
しかし、実際には、疲れているのだろう。
夕食後すぐに眠くなる。
布団に入ってもすぐに寝てしまう。
だから、早く目が覚める。
今朝は、いつもより1時間早く目が覚めた。

昨日は一日論文を書いていた。
以前書いた原稿を読み返しながら
推敲をしていた。
必要な図表もいくつか作成した。
論文完成には、
まだまだ時間がかかりそうだ。
暇を見て書くついでいくしかない。

●鍬と宇宙船:No. 2923 2009.06.02

秋山豊寛著「鍬と宇宙船」
(ISBN978-4-270-00270-4 C0095)
を読んだ。
農業をしている秋山氏の文章は、
説得力がある。
日本最初の宇宙飛行士として、
知名度がある秋山氏が、
農業をしている。
その意味を十分理解すべきなのだろう。
彼がのどかな田園風景と農作業を語りながら、
ちりばめられる風刺、批判、考えは、
傾聴すべきものがある。
なにより実践的に生きていることに
説得力がある。
彼の動向には今後も注目が必要だ。

●パンデミック 追跡者:No. 2922 2009.06.02

外岡立人著「パンデミック 追跡者」
(ISBN978-4-903970-30-1 C0093)
を読んだ。
前作に続いて、読んだ。
内容が2つに分かれている。
その連続関係が理解しにくい。
今回は、1H5Nの強毒性のウイルスが
日本の離島で発生したのを
どう食い止めるか、その対策は・・・
というストーリーである。
内容の甘さは感じるのだが、
現実味があり引き込まれた。

2009-06-01

●ネットワーク:No. 2921 2009.06.01


雫。江別市文京台

今朝は曇りである。
風があって、少々肌寒い。
雨が降りそうだが、
今のところ思い雲が覆っているだけだ。

昨日は、長男とその友達をつれて、
プールに行く予定だったが、
プールが行事で使えなくなっていたので、
急遽中止となった。
子供たちはがっかりしていたが、
仕方がないことだ。
行く前に、その行事のことが
わかってよかったいっても
子供の失望は補えない。

昨日は、長男のパソコンをセットアップを行った。
そのついでに、みんなが使っている
パソコンのセットアップの続きを行った。
一昨日までインターネットがつながらないので、
あきらめていたが
昨日試したら、つながった。
多分、一昨日の設定が、それでよかったのだ。
ところが、ハブとネットワークの反応が遅かったので、
繋がらないと思ってしまったのだろう。
ところが他の作業をしているうちに
接続ができたようだ。
これからは、素直に繋がるだろう。
次は、自宅全体のネットワークを確認する作業だ。
家内もノートパソコンから
こちらのパソコンに移れるはずだ。
それらは、今週末の作業となりそうだ。

Monolog 89 2が8を制する:冪乗則

Monolog 89 2が8を制する:冪乗則
(2009.06.01)
を発行しました。

全体の2割を制すれば、
全体の8割を制することがあります。
サッカーの司令塔やエースストライカー、
野球のエースピッチャーや強打者などが、
試合の趨勢を支配することもその例でしょう。
このようなことは、多くの人が漠然と感じています。
誰もが漠然と感じていることを、
視覚化、あるいは定量化することは重要です。
2が8を制するというのは、
冪乗則というものが隠されています。