2009-06-12

●自分探し:No. 2936 2009.06.12


雫。江別市文京台

昨夜半まで降っていた雨が
今朝は上がっていた。
雲の多い天気である。

私が若かったときから、
「自分探し」という言葉があり、
多くの同世代の若者が実践してきた。
今の若者の間でも
「自分探し」という言葉は
同様の使われ方がされている。
探して「自分」が何ものかが
見つかるのだろうか。
まず次のことに、気づくべきであろう。
少なくとも、自分自身の肉体がある。
その肉体を、自分の肉体と理解する
意思が存在する。
そして肉体と意思が
どこに向かうべきか
という悩みも存在する。
自分の肉体や意識のクセには
気づいているはずである。
長年の経験で
そのクセとの付き合い方にも、
長けているだろう。
これこそが「自分」 ではないか。
「自分探し」をする存在こそが、
「自分」ではないか。
だから、探すべきは、
「自分」ではなく、
「自分」が向かうべき方向、
目指すべきところではないか。
それを目標や夢というのだろうか。
それすらも、変化する。
曲がりくねる。
まったく違ったところにたどり着く。
それが生きていくということなのかもしれない。