2009-12-31

EarthEssay 3_79 周期性:黒点2

EarthEssay
3_79 周期性:黒点2
を発行しました。

太陽の黒点の増減には、
約11年の周期性があることがわかっています。
このような周期性がみつかったのは、
19世紀の中ごろでした。
幸いにも、17世紀まで黒点の観測記録が
さかのぼることができたので、
その周期性が明らかにされました。
その後も観測は継続され、
周期性は確定しました。
周期性の発見についてみていきましょう。

2009-12-26

●外出:No. 3133 2009.12.26

今日は快晴である。
久しぶりに外に出かけることになる。
とはいっても、我が家からはでるが
買い物などの屋内への外出のことである。
私は、風邪のため、大学の往復だけで、
それ以外のところへはいっていない。
今日はいくつか店に行って
買い物をする予定である。
もちろん市内の店であるが。

●おはようからおやすみまでの科学:No. 3132 2009.12.26

佐倉統・古田ゆかり著「おはようからおやすみまでの科学」
(ISBN4-480-68739-4 C0240)
を読んだ。
科学的思考、感性、考え方の重要さを
伝えるために書かれた本である。
しかし、ものたりない。
議論が浅く、問題提起の表層だけを伝えてる気がする。
また、佐倉氏がなぜ著者に
名前を連ねているのか不思議だ。
古田氏一人の著作に見える。
そしてリビング・サイエンスを提唱しているが、
キッチン・サイエンスの拡大版にみえる。
何を目指してるのか鮮明でない。

●数学ガール:No. 3131 2009.12.26

結城浩著「数学ガール」
(ISBN978-4-7973-4137-9 C0041)
を読んだ。
だいぶ以前に購入した本だ。
やっと読み始めたら、
一気に読んでしまった。
2作目はなく、3作目が手元にある。
早速2作目も購入して読んでみよう。
なかなか面白本であった。
以前、マンガになったものを読んだが、
それでは面白さが伝わらない。
やはり数学の面白さは数式から出てくる、
論理的展開から導き出される
意外な性質や特徴などである。
それを若い感性が感動していくことに
読んでいる方も感動していく。
その数学の面白さを伝えている本である。

●神の守り人:No. 3130 2009.12.26

上橋菜穂子著「神の守り人」
(上:ISBN978-4-10-130276-8 C0193
下:ISBN978-4-10-130277-5 C0193)
を読んだ。
守り人シリーズの5作目だ。
このシリーズは完結しているが、
文庫本になっているのは、
ここまでである。
将来にまたなってくるのであろうが、
一段落である。
このような小説を読むと、
若い頃は、のめる込むような
楽しさが湧いてきたはずだ。
しかし、今ではそのような気持ちになることがない。
なぜであろうか。
心も老化するのであろう。

●算数宇宙の冒険:No. 3129 2009.12.26

川端裕人著「算数宇宙の冒険 アリスメトリック!」
(ISBN978-4-408-53563-0 C0093)
を読んだ。
川端氏の最新作である。
数学ガールの小説版にみえる。
そして扱っているのがリーマン予想。
私にはある程度面白かったが、
万人が楽しめるものではないかもしれない。
少々数学的説明で不満が残る。
それなら数学ガールを読めば
ということになるのだろう。

●キッドナップ・ツアー:No. 3128 2009.12.26

角川光代著「キッドナップ・ツアー」
(ISBN4-10-105821-0 C0193)
を読んだ。
別居を始めた父親に「誘拐」された
5年生の娘からみた誘拐旅行という設定である。
なかなか面白い設定だ。
その旅の間に、
父と娘の交流や心の変化が描かれる。
しかし、私には、もうひとつ
しっくりこなかった。

2009-12-25

●最後のあがき:No. 3127 2009.12.25


雪景色。江別市文京台

今日も雪が舞う中を歩いてきた。
昨夜も結構降ったようで、
朝には除雪が入ってた。
いつもな夜中の除雪の音に気づくのだが、
昨夜は気づかなかった。
疲れているのだろう。

今日は発表の予行演習の最終日である。
夕方には会議がある。
一日びっしり詰まっている。
もうあと少しで今年が終わる。

今年中にやってしまいことがある。
できるかどうかわからないが、
できるまでやってみたいと考えている。
書きかけの論文である。
来月早々なら提出が
受け付けられると思う。
今年の後半は、
なかなか仕事がはかどらなかった。
それを残された日々でおぎなっていきたい。
間に合うもの補っていきたいと考えている。
今年最後のあがきである。

2009-12-24

●最後の校務:No. 3126 2009.12.24


街灯。江別市文京台

今日は小雪の降る中を歩いてきた。
風がほとんどなく
歩いていると体が温まってきた。

久しぶりに大学まで歩いた。
一週間体調を崩していたので、
一週間ぶりにあるいたことになる。
今日から本格的に復帰となる。
今日から明日は、
私のゼミだけであるが、
卒業研究の発表の予行演習を行う。
まあ今年最後の校務というべきものである。

EarthEssay 3_78 無黒点日:黒点1

EarthEssay
3_78 無黒点日:黒点1
を発行しました。

太陽は、地球にとって、
決定的に重要な役割を果たしています。
しかし、その実態は、
必ずしも解明されているわけではありません。
でも、観測は続けられていて、
観測データからも、
いろいろなことがわかります。
中でも太陽の黒点による
活動の11年周期が有名です。
現在、その周期の極小期にあたっています。
ただ、その極小期が従
来のものと違っているようです。
その意味を考えてきましょう。

2009-12-22

●インフルエンザ:No. 3125 2009.12.22

1週間、インフルエンザであった。
先週の火曜日に帰宅途中に医者にいった。
そのときは微熱だったので、
通常の風邪薬をもらい、
かえってすぐ寝た。
翌日も微熱であったが、
夕方から熱が出だし、
夜中には高熱、頭痛、筋肉痛になった。
木曜日には医者にいき、
検査をしたらインフルエンザと判定された。
タミフルを飲み、安静にしていた。
土曜には熱が下がったが、
明け方にまだ寝汗をかく。
家族に移らないか心配であるが、
今のところ症状はでていない。
昨日から校務があったので、
大学には出てきていたが
人には接しないようにして、
研究室に篭っていた。
今日も朝から来ているが、
午前中に面談があるためだ。
もう感染力はなくなっているであろうが、
あまり人に合わないようにしている。
その学生もインフルエンザにかかっていたので、
多分大丈夫であろう。
私は、その学生からかかった可能性が高い。
まあ、今日も無理をせず、
用事が終わったら早めに帰る予定である。

2009-12-17

EarthEssay 1_88 境界変化:第四紀問題3

EarthEssay
1_88 境界変化:第四紀問題3
を発行しました。

第四紀が再定義されたということは、
そこに重要な地質境界が認定されたということです。
その境界やその時代を境に地質が大きく変化したということです。
第四紀の地質学的変化は、気候変動です。
それも寒冷化の進行というのが、
第四紀の再定義のキーになりました。

2009-12-15

60 高千穂:神話を生む節理

 いよいよ今年も終わろうとしています。今回は、天岩戸伝説で有名な高千穂を紹介します。高千穂は、阿蘇山の火山活動によってできた柱状節理が織り成す景観です。節理は長い年月の経過によって、地下から現れたものです。風化によって浸食され、流水によって削られながらも、節理の性質を残しています。高千穂の生い立ちを見ていきましょう。

 九州の中央部には、阿蘇山があります。阿蘇山は、日本でも非常に規模の大きいなカルデラを持つ火山で有名です。現在でも活動中の活火山で、中岳周辺には、激しく噴気を上げている火口があります。活動と風向きにっては、近づけないこともあります。
 広大な火山なので、阿蘇山の中岳を中心とする中央火口丘だけでなく、カルデラ内にもいくつもの観光名勝があります。カルデラの外にも、もちろん観光名勝があります。
 カルデラは火山の中に形成されたくぼ地です。そのくぼ地は、火山体の中央が陥没して形成されます。ですから、カルデラの周囲には、もとの火山体を構成していた山が残り、外輪山と呼ばれています。外輪山は、カルデラの方が急な崖になってカルデラ壁と呼ばれています。外輪山の外側は、火山の裾野ですので、比較的なだらかになっています。しかし、それはカルデラ壁と比べての話で、火山の裾野ですから、傾斜をもった斜面となっています。
 もちろん、阿蘇山の外輪山周辺にも観光名所はたくさんあります。
 宮崎県の高千穂は、阿蘇山の外輪山の南東の山裾にあります。険しい山の中に、峨峨とした山並み、柱状に切り立った渓谷が特徴で、高千穂峡と呼ばれています。私は、阿蘇山へは、何度かいったことがあります。カルデラ内のその周辺にもいきました。高千穂へは、3度ほど出かけました。今年の9月にも出かけ、周囲を見学しました。
 外輪山は昔の火山の裾野にあたり、分水嶺を形成し、周辺には外輪山を源流とする河川が多数あります。その一つに五ヶ瀬川があります。五ヶ瀬川の上流、外輪山の南東の山麓に位置するのが、高千穂です。
 高千穂は、その険しく不思議な景観を持っているためでしょうか、古くから物語や伝説が生まれてきたようです。高千穂は、天孫降臨の地、あるいは天岩戸(あまのいわと)の神話の舞台として有名です。
 天孫降臨とは、古事記と日本書紀に記された神話です。スサノオノミコト(瓊瓊杵尊)が姉であるアマテラスオオミカミ(天照大神)の命を受けて、高天原から天降ったというものです。その地が、高千穂だと考えられています。
 天岩戸伝説も、スサノオノミコトとアマテラスオオミカミに関する神話です。スサノオノミコトが高天原で目に余る狼藉を働いたので、アマテラスオオミカミが怒って、天岩戸に篭ってしまいました。このとき、一帯が真っ暗になったのいうのが、天岩戸伝説です。
 実際には、皆既日食が起こったのが、このような神話の起源だと考えられているようです。日食終わりにも神話が続きます。
 暗くなって皆は困り、アマテラスオオミカミを出すために策略を練ります。天岩戸の前で、踊りの上手なアメノウズメノミコト(天鈿女命)が奇抜な格好をして踊り、他の神々も大笑いをしたり、大騒ぎをしました。その騒ぎを聞きつけたアマテラスオオミカミは、皆を困らせるために岩戸に篭ったのに、喜んで大騒ぎをしているのを不思議に思い、岩戸を少し開けて、なぜ大騒ぎをしているのかを聞きました。そのとき、あなたより貴い神が現れたといって、そっと鏡を出しました。その鏡に映った自分の姿を、もっと見ようと岩戸をさらに開けたところを、力持ちのタジカラオノミコト(手力男命)が引きずり出し、もう岩戸に隠れられないように注連縄(しめなわ)をはりました。それで、やっと闇はなくなったという神話です。
 神話ですから真偽のほどは定かではありませんが、高千穂には、天岩戸神社があり、天岩戸があります。私は、天岩戸神社へはいったんのですが、天岩戸は見学しませんでした。ただ、神話の舞台となっている天安河原を訪れました。
 そこは、高千穂の静寂に囲まれた不思議な空間となっていました。
 高千穂峡の不思議な景観は、柱状節理が作り上げています。柱状節理とは、マグマや岩石が冷めるときにできる割れ目です。マグマが固まり、熱い岩石が冷めるとき、少し体積が減ります。そのときに、岩石に割れ目ができます。その割れ目は、冷める方向に対して垂直にできやすくなります。高千穂峡の柱状節理は、垂直に立っていますから、上下から冷えたことになります。
 柱状節理の上部では、柱状ではなく、放射状の節理もあります。ここでは、表面に近く、丸くなるような冷え方をしたようです。自然の造形ですから、同じようでも、2つとして同じものはありません。
 垂直の柱状節理は、川によって侵食されていくと、柱が一つ一つ倒れていきます。ですから、切り立った崖として侵食され、深い谷ができます。高千穂峡も、そのような作用でできました。
 高千穂の一番の名勝である真名井の滝は、柱状節理の上から流れてきた水が、17mの高さから静から川面にしぶきとなって落ちます。水量は多くないですが、たおやかな優雅さがあります。柱状節理に囲まれた静かな流れに落ちる滝へは、ボートで誰もが近づけます。東西横に7km、高さ80~100mに渡る柱状節理の列が、高千穂峡の非常に神秘的な景観をつくっています。
 この柱状節理は、阿蘇の火山によってできたものです。柱状節理をよく見るとそこには、黒っぽいガラス状の石が延びて含まれています。これは火山の火砕流によって放出された軽石などが、熱のために溶けてガラス状になったものです。火砕物が溜まった時の圧力で、平たく伸ばされたものです。このような岩石を溶結凝灰岩といいます。柱状節理は、阿蘇の火山噴火で火砕流が起き、火砕物が溜まり、再度熱くなり固まり、それが冷えたときできたものです。
 阿蘇山は、過去に4度の大噴火を起こしています。最初は26.6万年前で、2度目が14.1万年前、3度目が12.3万年前、4度目が8.9万年前です。3度目と4度目の大噴火の時、火砕流が高千穂を襲い、火砕堆積物を堆積しました。これが、今では柱状節理となっています。
 火砕流は、マグマが地表付近で大爆発して、膨張したものが、流体として熱いまま流れていきます。600度から1000度ほどの熱い流体で、高速で流れていき、山があっても乗り越えて、遠くまで達します。
 阿蘇山の4度目の火砕流は、非常に大規模で広範囲に及びました。この火砕流は、南は人吉盆地まで達し、南以外はすべて海にまで達しています。北は海を越え山口県宇部市、東は五ヶ瀬川の河口から海へ、西は海を越え、島原半島、天草下島にまで達しました。その規模は、火砕流だけで、九州を半分近くを覆うような大火砕流だったのです。また、火砕流だけでなく、火山灰も大量に放出し、北海道東部でも15cmもたまっています。
 そんな大噴火によって形成された高千穂峡ですが、今ではそんなことに気づく人はどれほどいるでしょうか。高千穂峡を橋の上から見下ろすと、そこには切り立った崖と、音も無く落ちる滝、そして静かな水面という、静逸と神秘に満ちた景観をみせてくれます。時折静かな水面をボートが行きかい、これが現代であるということを、思い出させてくれます。
 こんな節理が作り出す景観の中で、神話が生まれたのも納得できます。

・予定外の訪問・
今年最後のエッセイは高千穂となりました。
高千穂には今年9月、
宮崎調査に出かけたときに立ち寄りました。
本当は、高千穂からのずっと奥の調査予定でした、
その地を探したのですが、わかりづらく
見つけることができず、断念しました。
少々悔しい思いでしたが、
はからずも時間ができたので、
高千穂を見学することにしました。
20年ほど前には友人と、
数年前にも家族で高千穂には訪れたのですが、
季節が違っているので、趣も違っていました。
9月上旬の平日にもかかわらす、
バスで多くの観光客が訪れていました。
観光客でも、外国の方が目立ちました。
夏休みが過ぎていましたが、
暑い日で、高千穂峡の川面を流れる風の涼しさを堪能しました。

・来年の予定・
いよいよ今年も終わりとなります。
来年もこのエッセイを続ける予定ですが、
4月以降は、愛媛県に1年間単身で出かける予定になっています。
そこは自宅や大学よりインターネット環境が完備しておらず
継続できるかどうか不明です。
とりあえずは、3月までは継続していきますが、
状況によっては、このエッセイを休止するかもしれません。
ただ、現在発行しているまぐまぐでは、休刊はできますが、
1年以上に渡っての休刊は、メールアドレスの変更が多数あるため
あまり復刊しない方がいいとのことです。
ですから、せっかく長らく購読いただいている読者がおられますから
継続の方向で検討しますが、現段階では、まだ未定です。
状況が変わればそのつど連絡しますが、
そのような状況であることをご報告します。

GeoEssay 60 高千穂:神話を生む節理

GeoEssay
60 高千穂:神話を生む節理
を発行しました。

いよいよ今年も終わろうとしています。
今回は、天岩戸伝説で有名な高千穂を紹介します。
高千穂は、阿蘇山の火山活動によってできた柱状節理が
織り成す景観です。
節理は長い年月の経過によって、
地下から現れたものです。
風化によって浸食され、
流水によって削られながらも、
節理の性質を残しています。
高千穂の生い立ちを見ていきましょう。

2009-12-14

●新型ウイルス:No. 3124 2009.12.14


並木。江別市文京台

今朝は曇りである。
風はないが、寒さを感じる。
相変わらず、雪はない。

週末は風邪気味であった。
養生してあまり外出していなかった。
今日は咳が少しである。
多数の学生と面談を
することになるので、
マスクを用意してきた。
葛根湯を飲みだした。
ひどくならなければいいのだが。
大学ではインフルエンザの新型ウイルスは
身近に漂っている。
気をつけなければ。

2009-12-11

●最後のあがき:No. 3123 2009.12.11


松ポックリと霜。江別市文京台

今朝は快晴である。
放射冷却で寒い。
大学に着く直前くらいに日が上り始める。

最近はいつもより30分ほど遅く出る日が続く。
夜が暗いために、
ついつい起きる時間遅くなるのか。
それとも疲れがたまっているのか。
後者であろう。
ここ二、三日、
夜、寝転がって本読んでいると、
すぐに、うとうとしてしまう。
疲れているのがわかる。
しかし、あまり早い持間に
寝てしまうと、夜中に目が覚めて
寝付けなくなってしまう。
卒業研究への対処で、
非常に消耗している。
学生たちも同様に消耗しているのであろうが、
最後のあがきをしてほしい。
私もそのあがきにつきあっていく。
来週の水曜日までこの状態が続く。

今日は、大学の教職員の忘年会だ。
半数くらいは出席するのだろうか。
また風邪がぶり返しそうなので、
体調に気をつけなければならない。

2009-12-10

●プレッシャーとプラスアルファ:No. 3122 2009.12.10


氷。江別市文京台

朝は雲が覆っていたが、
少しずつ雲が晴れてきた。
昨日と似た天気である。

学ぶということについて考えた。
どのような学びが理想なのかということだ。
それは世代によって違うだろう。
大学生のように
個性や自立心がある成人には
自分の行動を律することが可能である。
自分自身でどうすべきかを判断し、
それを実際に行動にうつすという能力がある。
ただし、弱い自分もあるので、
その弱い自分を押し込めるために
指導者はそれなりのプレッシャーを
与える必要があるだろう。
締め切りを決めたり、
内容への一定のレベルを求める
そして繰り返しのアドバイスなどが必要だろう。
一方、低年齢の小学生などは、
大人の指導の必要性がもっとでてくるだろう。
教師の指導、そして家庭での指導、
時には、塾や家庭教師の指導も加わるだろう。
その指導の程度は、
どのような将来を
子どもに望み、
託すかいよって違ってくるであろう。
もちろんいずれの大人も、
子どもの将来に良かれと
思ってやっているのだが、
大人の一方的な思いではなく、
子どもの性格、あるいは将来性、
その将来性には、大人としての社会分析も加わる。
お金をかけるのがベストではない。
有名進学校、有名進学塾がベストではない。
受験のテクニックでがすべてではなく、
人間を本当に育てることが重要である。
公教育には、公正さを求められるため、
最低限の必要性のみが徹底されている。
そこにプラスアルファを
どう考えるかが親の責務となる。
親の思いが子どもに一番影響を与えるからだ。

EarthEssay 1_87 再定義:第四紀問題2

EarthEssay
1_87 再定義:第四紀問題2
を発行しました。

第四紀のはじまりは、
ここ数年、地質学界の重要問題でした。
いや、地質学界だけでなく、
多くの関連分野の研究者も、
その成り行きに注目していました。
その決着を今年やっとみました。
第四紀の定義は、
従来のものと変更になりました。
今回のエッセイでは、
その定義の内容を紹介しましょう。

2009-12-09

●更なる高み:No. 3121 2009.12.09


坂道。江別市文京台

朝が暗かった。
いつもの朝と比べて、
時間が早く感じられる。
それは、外がなかなか明るさが
増してこないためである。
今日は、特別雲が厚く、
小雨が降る朝だった。

今日も空き時間のすべてで
卒業研究の個別面談をおこなう。
毎日、それぞれのテーマを読む。
似たようなテーマもあるし、
独自のテーマもある。
それぞれが自分の努力を続けている。
いろいろな事情、努力の程度は
人それぞれで、一律に判断はできないだろう。
最終的に成果物である論文になる。
論文という成果には明らかに違いがある。
その違いは、他人の目、外の判断である。
重要なのは、自分がおこなった努力が
自分自身に対して恥じないとえいるかどうか。
恥じないといえたとしても、
更なる高みを次に望むかであろう。
更なる高みは、次回限りである。
その次には、高みはさらに高くなっている。
その増していく高みこそが
人としての進歩であろう。
それぞれ人なりに、
そんな進歩を味わって欲しいものだ。
そうすれば、他の判断など恐れるに足りない。

2009-12-08

●復調:No. 3120 2009.12.08


幹。江別市文京台

曇りである。
冷たく、風が強い日であった。
雪がうっすらと積もっている。

昨日は一日卒業研究の対応に追われていた。
風邪は日曜日一日ゆっくりとしていたので
大部収まった。
昼間背筋が痛かったのだが、
夕方風呂に入ったら
一気に楽になった。
昨日は、朝起きても大丈夫そうだから、
出てきたが、体調はそれほど悪くなかった。
まだ、本調子ではないが、
通常の仕事をできる。
また、今日も卒業研究の個別面談が続く。

2009-12-06

●風邪気味:No. 3119 2009.12.06

風邪気味である。
背筋の筋肉あたりがいたいのだが、
熱や咳など風邪の症状が出ない。
インフルエンザではなさそうである。
家内がかかったのと似た症状だ。
家内は検査を受けて
インフルエンザではない風邪と診断を受けた。
私も今日一日様子をみて、
症状が進み、熱が出てくるようなら
明日以降のすべての予定をキャンセルして、
自宅養生しよう。
学生に風邪をうつすと大変だ。

●バカ親、バカ教師にもほどがある:No. 3118 2009.12.06

藤原和博。川端裕人著「バカ親、バカ教師にもほどがある」
(ISBN978-4-569-69946-2 C0237)
を読んだ。
PTAを一生懸命していろいろ疑問をもった川端氏。
民間から初めて公立中学校校長になった藤原氏。
それぞれの立場から問題点や
解決案を考えていくという構成である。
知らなかったこともあり、
教師の多様性、親の多様性の必要性など
参考になったところもある。

●虚空の旅人:No. 3117 2009.12.06

上橋菜穂子著「虚空の旅人」
(ISBN978-4-10-130275-1 C093)
を読んだ。
シリーズファンタジーである。
ただし、今回、主人公と思っていた人物が出てこない。
以前の脇役であった人が、
主人公となって話が進む。
話が新しい展開を迎えて大河化していく。

●ダーウィンのミミズの研究:No. 3116 2009.12.06

新妻昭夫著「ダーウィンのミミズの研究」
(ISBN4-8340-1679-X C8744)
を読んだ。
子供向けの絵本であるが、
ダーウィンの生涯を示し
研究の姿勢を示している。
それと著者自身の
ダーウィンへのこだわりも示している。
この部分がなかなか面白かった。
ダーウィンの研究の紹介であれば、
自伝を読めばわかるのだが、
それに興味を持った研究者の姿勢も
同時に示すことよって
研究者の姿勢がより鮮明になった。

2009-12-04

●帰属意識:No. 3115 2009.12.04


ナナカマド。江別市文京台

今朝は快晴であった。
放射冷却で冷え込んでいた。
先日の雪のしみこんだ草むらが
凍り付いてた。

組織に属するということは
その組織の論理に従うことでもある。
その組織を運営するためには
構成員がその組織の論理に
満足する部分がなくては
帰属意識がなくなる。
構成員はその組織内で果たす役割を
自分の能力、自分の専門性、自分の好みを
活かしながら果たしていくはずである。
その循環が正常であれば、
構成員はその組織を信頼し
貢献しようと考える。
組織内で役職が割り振られ
役職における権限が生じてくる。
対象者に有利と考えられる対案を出しても
その権限者の好みによって封じられることがある。
充分な根回し必要なことも
あっさり決められる。
役職と構成員間に齟齬が生じると
権限者が構成員に無理を強いることになる。
その背景に全体のことより権限者の手間、
早く済ませたい、トラブルを減らしたいという
意図が見え隠れすると、
不信感が沸いてくる。
一見全うに見える行為が、
当事者には強権の発動に感じる。
それが度重なってくると
その組織への帰属意識が希薄化してくる。
そんな繰り返しを感じるようになった。

2009-12-03

●季節の推移:No. 3114 2009.12.03


雪と街灯。江別市文京台

今朝起きたら、
外が真っ白であった。
起きたときには
すでに雪は降っていなかった。
今日は久しぶりに白の中を歩いてきた。
ただし、夜明け前の暗い中を歩いてきた。

私が起きている時間は
5時前後である。
疲れ具合や、あるいは夜中に目覚めたりして、
起きる時間にはばらつきがある。
早ければ、4時過ぎに起きるときもある。
遅いときは6時を過ぎるときもある。
平均的は5時ころになる。
起きる時間の変動に伴って、
朝、自宅を出る時間が変わってくる。
一方、夜明けの時間が
季節によって変動する。
実際には季節変動以上に、
私が自宅を出る時間の変動の方が大きい。
時間変化、季節変化のため、
朝の様子がいろいろ変わる。
朝の歩いている時間の変動の中に
季節の変動があるのを見つけるのはうれしい。
たとえば、今朝の雪は
季節の推移が感じられるものであった。

EarthEssay 1_86 決着:第四紀問題1

EarthEssay
1_86 決着:第四紀問題1
しました。

第四紀問題の決着をみましたので紹介します。
第四紀とは、人類史にとって重要な時期にあたります。
地質学だけでなく、生物学、考古学、歴史学など
多くの分野で使われている用語です。
それが一時は廃止するという決定が出たのですが、
長い時間をかけて、その問題に対しての結論がでました。
その内容を紹介しましょう。

2009-12-02

●必死の経験:No. 3113 2009.12.02


実。江別市文京台

今朝は快晴で冷え込んだ。
いつもより遅く自宅を出た。
歩いている途中で朝日が昇りだした。
一番寒い時間帯であるが
一番気持ちのいい時間帯でもある。

卒業研究での個別対応に
忙殺されている。
授業と校務以外の時間は
すべて個別対応にあてている。
しかし、完成度のひくものばかりだ。
時間がないので
最低限の指示をだして、
それを達成するしかない。
彼らの中で卒業研究の
位置づけの低さに驚かされる。
一番の位置づけであれば
もっと必死になるだろうと思えるのだが。
それとも必死に何かをする
という経験がないのだろうか。
そうなら寂しい人生を送ってきたような気がする。
必死の経験の積み重ねが、
成長をもたらすのではないだろうか。
そんな思いに毎日駆られている。

2009-12-01

●限界まで:No. 3112 2009.12.01


並木。江別市文京台

今朝は霧が深かった。
深い霧の中を歩いてきた。
歩くうちに霧は薄れてきた。
大学に着くころには
薄れた霧の上に青空が見えだした。

卒業研究を読んで校正している。
なかなか手間がかかる作業である。
そんな作業をしていると、
論文とはいえ、個性が出ることがよくわかる。
自信を持って書く人、
自信なさそうに書く人、
細部に気配りをしている人、
細部まで気が回らない人、
いろいろなことが読めてくる。
しかし、これが自分自身の
最大限の努力の結晶なのかという問いを
それぞれが自分自身に発して欲しい。
若いときは成長できるときだ。
これ以上ないと思える努力は、
二度目には簡単に達することのできる位置となる。
つまり、限界までいけば、
その限界は通過点になる。
そんな経験をして欲しいのだが。

Monolog 95 観察に真理が宿る:ダーウィン生誕200周年

Monolog
95 観察に真理が宿る:ダーウィン生誕200周年
を発行しました。

早いもので、もう2009年も終わろうとしています。
今年最後のエッセイとして
ダーウィンを取り上げることにしました。
実は、このエッセイを書こうか、書くまいか、
かなり迷いました。
なぜなら、今年はあちこちでダーウィンが
取り上げられているに違いないからです。
でも、今回を書かないと、チャンスがないかもしれないので、
書くことにしました。
私の身近な視点で、ダーウィンについて述べていけば
いいのではないかと思いました。
それが今回のダーウィンに関するエッセイです。