2013-03-12

●知的劣化のいち抑制として:No. 4342 2013.03.12


牧舎。江別

今朝はどんよりとした、冷たい朝である。

昨日で東日本大震災から2年となる。
あの日、私は四国にいて
地震を体験していない。
その後の緊急状態を
間接的に体験するだけだった。
被災者以外の人は、日本全国同じ状態だったろう。
そんな日を迎えて、
メディアでは、いろいろな特集番組が組まれた。
過去形にするのが辛い。
民放は、視聴率狙いのもので
本質をえぐる番組は少ない。
その点NHKやCSの科学番組は、
本質を捉えようと、もがく番組が多い。
重要なドキュメントの再放送もされている。
日本はあの震災から何を学んだのか。
多くの個人は、程度の差があるが、
いろいろなことを学んだ。
もっと大きな存在が、
まだ まだ学び足りない気がする。
おおきなものとは、
政府あるいは政治家、メディアあるいはジャーナリストだ。
大きなものが、私たちの大勢、将来、
これからの行動や情報を握っている。
そんな大きなものの愚行に対応するには、
個々が賢くならなければならない。
人間としての度量や教養が必要になる。
大学では、教養が軽視され、
専門性、それもスキルに類する教育ばかりに
専念している。
これでは、知的劣化の悪循環を
生み出すことになりはしまいか。
そんな教養の劣化を少しでも抑えるために
私にもできることがあるのではないか。
そんなことを、昨日、考えた。