2011-03-15

●メールマガジンの発行:No. 3634 2011.03.15

あこう。伊方町三崎

こちらは雲が多いが、
ここ2、3日暖かい。

関東地域も計画停電は行われているが、
交通も間引きはされているが
多くの路線で動きだした。
関東地域は被害はあったろうが、
比較的復旧しやすいであろう。
これから、物理的、精神的に
直接被災された方々への
救済、援助が本格かされ、
復旧へ向けて進むことになる。
長い時間が必要になるであろう。
特に精神的ケアが重要になるであろう。
阪神、新潟での教訓を活かしたいものだ。
そして、良識ある対応をしていきたいものだ。
詐欺や悪意はもってのほかで、
儲けや営利などを優先することなく
良心と倫理観に基づいた行動を期待したい。

私も昨日メールマガジンを発行するのを躊躇した。
躊躇は、発行自体と内容の2段階があった。
発行自体とは、
ほとんど書き上げていたエッセイがあったのだが、
大災害があった時期に、
それと全く関係のないメールマガジンの
発行してもいいかどうかという躊躇によるものであった。
次の内容は、書いたエッセイには
自然災害や原発に関わる部分もあった点である。
少し手を加えたが発行することにした。
以下、その時の口上を再録する。

GeoEssay 75 佐多岬半島:菜の花の下の片岩
(注)
 このエッセイは、金曜日午前中にほとんどを書き終わっていて、校正をするのみになっていました。発行日の15日より前に校正をして発行をすればいいと考えていました。ですから、11日の昼には、一仕事が終わったので、外出して午後3時頃に帰ってきました。しばらくして、メーリングリストで東北地方太平洋沖地震があったことを知りました。ですから、このエッセイは、地震とは全く関係のない内容を書いていました。このメールマガジンを発行しようかどうか迷いました。
 地震の情報を知ったあと、家族や親族の安否確認を急ぎました。さらに友人、教え子や関係のある者の情報を収集するため、13日まで没頭していました。その間、何も手につきませんでした。
 まだ、安否のわからない人も多数います。ニュースや情報を集めながら、私にできることをいろいろ考えていました。できることの多くは、多数の中のひとりとしてできることでした。それもしなればなりませんが、私にだけしかできないことは、何かないか考えました。その結果、メールマガジンを配信をすることが私だけができることだと思いました。
 以下のエッセイでは、災害や原子力発電について書いてある部分あります。過激な内容、不適切な内容は修正しましたが、基本的には元のままの状態であります。なぜこの時期にという批判があるかもしれませんが、通常通りに発行することにしました。